第十八話 春に舞う乙女たち
正月が過ぎ、厳しい寒さを抜けて春がやってきた。
この春を境に梅乃と小夜は十一歳となる。
誰も二人の誕生日を知らない訳で、春に拾った子だからと言うことらしい。
明治初期、少しずつ江戸の名残が薄くなっていった。
世間では、奉行から警察と呼ばれるようになり姿も変えている。
「梅乃~」 声を掛けてきたのは花緒である。
「花緒姐さん、おはようございます」 見世の前に出ていた梅乃を追いかけるように花緒も外に出てくる。
花緒は、以前に勤めていた近藤屋から買い取った妓女である。
四人の妓女が三原屋に来たが、花緒だけが梅乃と よく話す仲であった。
他の妓女より端正な顔立ちで、可愛いより綺麗タイプの妓女である。
「梅乃~ 昼見世の時間、外から見て目立つように助言を貰えないだろうか……」 珍しく花緒がアドバイスを求めてきた。
「あの……私、男でもないし、妓女でもありませんが……」 梅乃が困っていると、
「梅乃って、見る目あるじゃない。 少しだけでいいから~」
(花緒姐さんって、美人だけど話すと子供っぽいんだよな~ だから、なんか断りにくいんだよな~) 梅乃は困りながらも
「わかりました。 後で怒らないでくださいね……」 梅乃は、念を押して承諾《しょうだく》する。
そして梅乃は、花緒が目立つように張り部屋を見ていた。
(こうして見ると、花緒姐さんは地味なのか?)
梅乃から見た花緒は、綺麗ではあるが不思議に目立たなさを感じている。
「花緒姐さん、なんとなくですが分かります……」
「何? どんな?」 花緒が食いついてくると
「それは、華《はな》です」
「華?」
「はい。 花緒姐さんは顔立ちが良いのですが、なんとなく華やかさと言うか…… もったいないと思ってしまいました」
「ふむ……」
「すみません。 頭にきたなら叩いて結構ですので……」
梅乃が頭を差し出す。
「しないわよ! 私から頼んでおいて、出来ないわよ」 花緒は、慌てて両手を振っていた。
「でも、どうしたら華やかさが出るんだろう……」
「少し、外に出てみませんか?」 梅乃は花緒を外に誘って、仲の町を歩いてみた。
「ねぇ、仲の町を? どうして?」 花緒は、落ち着かない様子で梅乃の後ろを歩いていく。
「姐さんたちは昼見世の後は芸子の練習をしたりで、あまり外を歩かないじゃないですか。 ここには生きた教材が沢山いますよ♪」
梅乃は、ご機嫌で仲の町を歩く。
すると、 「梅乃じゃないか?」
そう言って、手を振っている女性がやってきた。 鳳仙である。
「こんにちは。 鳳仙花魁」 梅乃は頭を下げて挨拶をしていると
「こちらは?」 鳳仙が花緒に気づき、梅乃に訊く。
「三原屋の花緒姐さんです」 梅乃が紹介すると
「あんれ? なんか見た事が……」 鳳仙が、花緒をよく見ると
「以前は近藤屋に居ました。 無くなってからは三原屋でお世話になっています」 花緒は自己紹介をして、頭を下げた。
(なんで、鳳仙花魁と知り合いなのよ……なんなのこの子) 花緒は、梅乃を見ては目を細める。
「ところで、鳳仙花魁は何をされているのですか?」
「あ~ 勉強だよ。 妓楼の中だけじゃ、それしか知らないし……それじゃ、女も味が出なくなるだろ?」 鳳仙の言葉で、花緒は頭を打たれたような衝撃が走った。
(だから、この子は連れてきたのか……) 花緒は、梅乃を見てゾクッとしている。
「ちょうどいいです。 ほら、華やかな人……」 梅乃は、ドヤ顔で鳳仙を見せると
「なんだい……そんな事ないよ~」 鳳仙は謙遜している。
「まだ、いっぱい居ますよ。 華やかな人は、えと……」 梅乃が言いかけた所で、高笑いをしている人の声が聞こえる。
「なんだい? あの下品な笑い方は……?」 鳳仙も声に気づく。
“ あ~はっ はっ はっ……久しぶりに良いね~ ”
「まさか……」 鳳仙たちは、声のする方向を見ていると
普通の着物にキセルをくゆらせ、高笑いをしている女が歩いてきた。
「玉芳――?」 全員が声をあげた。
「あんれ~ 梅乃じゃないか~」 玉芳はニコニコして話しかけると
「花魁!」 梅乃は堪《たま》らず、玉芳に抱き着いた。
「お~よしよし♪」 「んっ?」 玉芳が梅乃の頭を撫でながら鳳仙に気づく。
「お~ 鳳仙! 相変わらず綺麗だが身請けはナシかい?」 ニヤリとした玉芳の顔は、悪い人の顔になっていた。
「うるせ~ って、吉原に何の用だよ?」 鳳仙も顔が嬉しそうだ。
「お腹の子が安定してきたから里帰りだよ」 玉芳は、少し出てきた腹を擦《さす》っていた。
「そうか、良かった」
「そうだ、花緒だっけか? ほら、華のあるヤツが来たじゃん!」 鳳仙は、親指で玉芳をさす。
「お久しぶりです。 玉芳花魁」 花緒は、深々と頭を下げると
「あはは、もう花魁じゃないよ」
その後、話しをしていると芸子が横を通り
「あんれ? 玉芳花魁じゃないですか?」 芸子の一人が話しかけてくる。
「もう、花魁じゃないよ。 そうだ! 折角だし、ここで何か一曲弾いておくれよ」 玉芳は、相変わらずだった。
そして、芸子の二人が三味線を取り出し弾き始めると
「あっ それ♪」 玉芳が踊り出す。
「しょうがないな~」 と、言って鳳仙も踊り出した。
二人が踊っていると、いつの間にか仲の町を歩く人々が、二人を見に集まってきていた。
「なんだい? あの能天気な踊りで目立ちやがって……って、玉芳?」
「お~ 喜久乃~ 一緒にどうだい?」 玉芳が笑顔で喜久乃を誘う。
そして有名人である三人が踊っていると、
“ シャン シャン ” と、音がする。
踊りが終わると、音がした場所には金が置かれていた。
シャン シャンは、お金を投げ入れた音であった。
まさに、現代のストリートダンスのようである。
「たんまり置いてくれたな~」 鳳仙は驚いていた。
「これで、団子でもどうだい?」 玉芳が、ニヤリとする。
「賛成♪」 梅乃はジャンプをして喜んでいた。
「う~ 食った~♡」 みんな満足していた。
「どうだい? 花緒……」 鳳仙が、花緒に訊いていると
「どうって…… 凄いしか言えないです」 花緒は、ここで格の違いを見せつけられたのだ。
(みんな綺麗だけど……ううん、綺麗な妓女なら沢山いる。 でも、この三人は光って見えた……)
これが大見世の花魁であり、菩薩となった女たちの凄さであった。
「そろそろ行くわ♪ 楽しかった♪」 玉芳は、鳳仙と喜久乃に手を振って三原屋に向かった。
玉芳が三原屋に到着するなり、
「ばかやろう!」 采の怒鳴り声がする。
「何よ~ 久しぶりの里帰りなのに~」 玉芳が頬を膨《ふく》らませていると
「だったら、真っすぐに来な! 身重《みおも》のクセに、なんで仲の町で踊っているんだい?」 采の怒鳴り声も懐かしく、シュンとした顔の中にも嬉しそうな玉芳である。
玉芳と采は、久しぶりに会って楽しそうだった。
小夜も布団から出て、玉芳に飛びついていた。
この人気こそが、玉芳を花魁にまで昇らせた秘訣《ひけつ》なんだ…… と、花緒は勉強になった。
「玉芳姐さん、大江様が迎えにきました」
片山が玄関で大声を出すと
「じゃ、行くかね~」 そして、梅乃と小夜が大門まで見送る。
「良い子にしてるんだよ」 玉芳は、母のような目で二人を撫でる。
もう会えないと思っていた二人には、賑《にぎ》やかな春の知らせだった。
玉芳は、会所で手続きをしている。
吉原では男性の出入りは自由だが、女性は違う。
足抜の心配があるからだ。
女性が吉原に入る時に、四郎兵衛会所で手続きをして、出て行く時にも手続きをしなければならない。
本来なら数十分掛かる手続きが、元花魁の玉芳は有名人であり、顔見知りでもある。 ものの数分で完了した。
「またね~」 玉芳は、最高の笑顔で吉原を去っていく。
三原屋に戻った二人は、満足そうな顔をしていた。
「なんか、良い顔してるな」 そんな采も嬉しそうであった。
そんな様子を見ていた花緒は
(花魁になる人は、ああいう人なんだな……私も変わらないと)
玉芳の存在は、三原屋の雰囲気を変える最高の起爆剤《きばくざい》だった。
それから花緒は、昼見世の後に仲の町まで出かけていく。
それは勉強の為である。
そして、一人、また一人と人数が増えていく。
三原屋の妓女は、昼見世の後に仲の町へ向かっていた。
そして、大人数で歩くことを
“三原屋道中 ” と、呼ぶ人までいるようになる。
まさに 『春の天使』 が吉原に活気を与えた魔法のようであった。
第二十話 新しい禿「……」「へっ?」 梅乃と小夜は驚いていた。「何、ボーっとしているんだい! 部屋割りと仕事を教えてやるんだよ」采は梅乃たちに言っていた。「は、はい―」 三原屋は、新しい禿を迎えいれることになったのである。(先日の客は、この事だったのか……) 梅乃は思い出していた。時を戻して三十分前、「梅乃、小夜、新しい禿になる古峰《こみね》だ。 しっかり教えてやりな」 采の言葉だった。そして古峰は 「……」 無言だった。(この娘は……声が出せないのかな? たまに吉原では変わった人はいるけど……) 「こんにちは。 私は梅乃、よろしくね♪」 梅乃は、『最初が肝心《かんじん》』とばかりに元気よく自己紹介をする。しかし、古峰は “プイッ ” と、横を向いてしまった。(はぁ? 可愛く無いヤツだな……) 梅乃が目を丸くすると、「梅乃~ そんな元気の押し売りみたいな真似じゃ、驚くよ~ 優しくよ♪」「こんにちは。 私は小夜だよ。 よろしくね~♪」 小夜の持ち味の、ほんわかした声を古峰に掛けたが……“プイッ ” また横を向いていた。「―プッ」 梅乃は吹き出してしまった。「なんなのよ~ そんなんじゃ、モテないからね~」 温和な小夜が叫んでしまうほどであった。そして一時間後、「梅乃、小夜、古峰を連れて買い物に行ってきな」 采はメモを梅乃に渡す。「じゃ、古峰。 行こう」 梅乃が声を掛けると「……」 古峰は返事をしなかった。(コイツ、殴ってもいいかな……?) 梅乃がイライラし始める。そして仲の町を歩いていると「梅乃~ 小夜~」 鳳仙楼の禿、絢が声を掛けてきた。「絢~」 梅乃と小夜は、小さく手を振る。「久しぶり~って、新しい禿?」 絢はヒョコッと、古峰を見る。「……」 古峰は挨拶をしなかった。「随分と面白いのが入ってきたね~」 絢は顔をヒクヒクさせて言うと「でしょ。 私たちも苦戦中《くせんちゅう》よ」 梅乃が呆れたように言う。「はははっ……じゃ、頑張ってね~」 絢は、そそくさと去っていった。そして、買い物をする茶屋の千堂屋に着く。「おっ、梅乃ちゃん、小夜ちゃん こんにちは」「こんにちは。 今日はコレをお願いします」 梅乃は、メモを千堂屋の主人に渡した。すると、 「梅乃ちゃん、小夜ちゃん、こんにちは。 こちらは新し
第十九話 花の蜜 「ごめんください……」 昼見世が終わりの時間、一人の来客が現れた。「はーい」 小夜が対応する。そこには二十歳くらいの女性が立っていて「私、引手茶屋の千堂屋《せんどうや》で働いています野菊《のぎく》といいます」「はい……」 小夜は不自然な事に戸惑っていた。「良かったら、此処《ここ》で働けないでしょうか?」 野菊の言葉に、小夜は驚く。「少々、お待ちください」 小夜は、采の元へ向かい説明をしていた。そして、 「なんだい? いきなりどうしたんだい?」 采も驚き、野菊に聞くと「あの……茶屋から、接客を勉強しろと言われまして、働きながら勉強できる所を探していまして……」 と、野菊は説明するが、采は困っている。「まぁ、話した事は解るが……ここで働くのは女郎だよ? アンタ、出来るのかい?」「やった事はありませんが、お願いします」 野菊は何度も頭を下げる。そして、細かい説明をした采は悩んでいた。「う~ん……」 「どうしたんだい?」 采に話しかけてきたのは文衛門であった。「お前さん……」 そして、采は文衛門に野菊の事を説明すると「なんだって? 千堂屋が? ちょっと行ってくる」 文衛門は、慌てて千堂屋に向かった。そして、文衛門は千堂屋で店主と話していた。「それって……本気かい?」 文衛門は驚いている。どうやら野菊は、千堂屋の店主の娘だと言う。千堂屋は引手茶屋である。三原屋などの大見世は、千堂屋からの紹介で来る客も多い。 そんな得意先の茶屋ではあるが、「本気かい? なんで娘を女郎にするんだい?」 文衛門は、興奮気味に話していた。引手茶屋の店主は、本気のようだ。話しを聞いた文衛門は、野菊を預かることになってしまった。「お前さん、本気かい?」 当然ながら、受け入れをした文衛門に采は、驚きと怒りさえ混じった声で叫んでいる。「あぁ、仕方ない……あの親父も、「働かせるなら評判の良い所に……」 なんて言うものだから……」文衛門が肩を落としながら話していると、「まぁ、なっちまったもんは仕方ない。 野菊、菖蒲に付いて勉強だよ」采は野菊に指示をし、一緒に菖蒲の部屋に向かった。そして、菖蒲に説明をすると「えっ? お婆……本気?」 当然ながら、菖蒲は唖然《あぜん》としていた。「よろしゅう、お頼み申しんす……」 野菊は三
第十八話 春に舞う乙女たち 正月が過ぎ、厳しい寒さを抜けて春がやってきた。 この春を境に梅乃と小夜は十一歳となる。 誰も二人の誕生日を知らない訳で、春に拾った子だからと言うことらしい。 明治初期、少しずつ江戸の名残が薄くなっていった。 世間では、奉行から警察と呼ばれるようになり姿も変えている。 「梅乃~」 声を掛けてきたのは花緒である。 「花緒姐さん、おはようございます」 見世の前に出ていた梅乃を追いかけるように花緒も外に出てくる。花緒は、以前に勤めていた近藤屋から買い取った妓女である。四人の妓女が三原屋に来たが、花緒だけが梅乃と よく話す仲であった。他の妓女より端正な顔立ちで、可愛いより綺麗タイプの妓女である。「梅乃~ 昼見世の時間、外から見て目立つように助言を貰えないだろうか……」 珍しく花緒がアドバイスを求めてきた。「あの……私、男でもないし、妓女でもありませんが……」 梅乃が困っていると、 「梅乃って、見る目あるじゃない。 少しだけでいいから~」 (花緒姐さんって、美人だけど話すと子供っぽいんだよな~ だから、なんか断りにくいんだよな~) 梅乃は困りながらも「わかりました。 後で怒らないでくださいね……」 梅乃は、念を押して承諾《しょうだく》する。そして梅乃は、花緒が目立つように張り部屋を見ていた。(こうして見ると、花緒姐さんは地味なのか?)梅乃から見た花緒は、綺麗ではあるが不思議に目立たなさを感じている。 「花緒姐さん、なんとなくですが分かります……」 「何? どんな?」 花緒が食いついてくると 「それは、華《はな》です」 「華?」「はい。 花緒姐さんは顔立ちが良いのですが、なんとなく華やかさと言うか…… もったいないと思ってしまいました」「ふむ……」「すみません。 頭にきたなら叩いて結構ですので……」 梅乃が頭を差し出す。「しないわよ! 私から頼んでおいて、出来ないわよ」 花緒は、慌てて両手を振っていた。「でも、どうしたら華やかさが出るんだろう……」「少し、外に出てみませんか?」 梅乃は花緒を外に誘って、仲の町を歩いてみた。 「ねぇ、仲の町を? どうして?」 花緒は、落ち着かない様子で梅乃の後ろを歩いていく。 「姐さんたちは昼見世の後は芸子の練習をしたりで、あまり外を歩かないじゃ
第十七話 年の瀬の騒ぎ「おはようございます」 梅乃と小夜は、早起きをして吉原を散歩していた。妓女たちは、朝の六時に客を見送る『後朝の別れ』を済ませてから寝床に入り、十時くらいまで仮眠に入る。梅乃と小夜は、子供なので夜の九時には寝ている。 朝の六時には起きて、妓女の見送りには息を潜めて邪魔をしないようにしているのだ。『後朝の別れ』が済むと、梅乃と小夜が慌てて小用に向かう。その後、時間潰しに吉原の中を散歩するのが日課だった。「もう寒いね……」「うん、早く帰ろう」 そう言って、急いで妓楼に戻る。「おはようございます。 潤さん」 梅乃と小夜は、毎朝 見世の前を掃除する片山に挨拶をする。そして、しばらくすると「梅乃……私、お腹が痛い」 小夜が言い出した。「お婆~ 小夜、お腹が痛いみたい」 梅乃が采に話すと「赤岩先生に診《み》てもらいな」 采は親指で赤岩の部屋をさした。赤岩は三原屋に住ませてもらう代わりに、全員の診察をしているのである。「ふむ……ちょっと早い気がするが……」「なんだい?」 采が聞く。「おそらく馬かと……」 馬とは、生理の言い方である。 月のもの、血の道 などと呼んだりもする。「へ~ じゃ、初馬《はつうま》かい!」 采は喜んでいた。そして、采は腹帯《はらおび》を改良して小夜の下腹部に付けた。この月経帯を新馬《しんうま》と呼んでいた。 馬の帯に似ているからとのことらしい。「小夜……大丈夫?」 梅乃は、まだ生理を知らず、痛がっている小夜を心配していると「大丈夫も何も、お前もじきに来るよ。 心配するな」 采は、そう言ったが梅乃は心配であった。翌日、小夜に出血が見られた。そして一階の大部屋では 「おめでとう~」 なんて言葉が飛び交い大部屋には、勝来や菖蒲も来ていた。(なぜ、おめでとう……なのか?) 首を傾げる梅乃と小夜であった。翌日から小夜はお休みとなった。采が『初めてだから』と言って休ませるとは、 じつに優しいお婆である。そうなると、お鉢《はち》は当然 梅乃に回ってくるのだ。「梅乃~髪結い」 「梅乃~服を押さえて~」 と、仕事が増えてきた。(クタクタだ~) 梅乃は疲れていた。そこに小夜がやってきて、「ごめんね 梅乃~」 小夜は、申し訳ない顔をしていた。「大丈夫だよ」 梅乃は、そう言って手をニギニギ
第十六話 足抜《あしぬけ》秋から冬へと向かう頃、寒さも一段と増してきていた。「梅乃、ちょっと来な」 見世の中から采が呼ぶ。「はい。 なんでしょうか?」 梅乃は、采の元に行くと「ちょっと、噂《うわさ》を拾ってきてくれないかい?」 噂を拾うとは、“吉原の中で噂を聞いてこい ” と言うことだ。大体は引手茶屋に行き、馴染みの主《あるじ》であれば噂や情報を提供してもらえるが、ここ最近では聞かなくなっていたようだ。「ウチの評判も気になるしね。 吉原細見の他にも情報がないかと思ってね~」 「わかりました」 梅乃は仲の町を歩き、聞き耳を立てていた。(確かに、子供になら口が滑ることもあるだろう……) 子供ながら、梅乃はしっかりしていた。『ヒソヒソ……』 やはり、色んな場所で、色んな事を話している人はいるものだ。その中で、気になる人たちが目に入る。そこには男性が三人いて、小さい声で話していた。そしてお歯黒ドブを指さしていたのだ。(なんかあるのか?) 梅乃はお歯黒ドブに近づき、垣根《かきね》の隙間《すきま》から外を見てみる。「なにも変わらないけどな……何かあるのかな?」 今まで気にしていなかった梅乃は、マジマジと外を見ていると「吉原の外って言っても、変わらないかな~」 そんな程度の感想だった。そして翌日、朝から梅乃はお歯黒ドブの方を見にくるとそこには怒りを露《あら》わにしている男性がいる。梅乃は、そっと近づいていく。そこから聞こえてきたのは「また足抜《あしぬけ》か……これで何件になるやら……」 そんな言葉だった。足抜とは、脱走のことである。妓女は借金を抱え、過酷《かこく》な労働《ろうどう》環境《かんきょう》の中で働かなくてはならない。そして年季が明けるまでは吉原から出る事が許されないのである。妓女が吉原から出られる方法は二つ。身請けをされて、身請け人が借金を払うのがひとつ。もう一つは、死ぬことである。病気が重く、死ぬ間際になれば実家に帰らされることはあるが、だいたいは命を落とすケースが多い。借金を抱え、身請けが出来ない妓女は吉原から出る事が出来ないのである。吉原の出入り口は一つしかない。 大門である。その大門には四郎《しろ》兵衛《べえ》会所《かいしょ》というのがある。そこには足抜をしないか見張りをする者がいる。男性は
第十五話 恋慕《れんぼ》秋になり、人肌恋しい季節になってきた。これは現代でも変わらないことであろう。「なんか、このままも寂しいわよね……」 と、ある妓女が言う。「このままって?」 「この仕事をして、年季が明けても身請けもなく、最後は河岸見世とか……」多くの妓女の悩みでもある。妓女が身請けをされるのは、花魁クラスである。 稀に中級妓女でも身請けはあるが、ほんの一握りの話しである。この時代にマッチングアプリなんていうものは無く、心を満たされる妓女は、ほぼ存在しない。妓女を身請けするというのは、男性にとっても莫大な金が必要となる。ここで妓女を指名するのは金持ちでも妻帯者が多いので、身請け出来ない男性が多い。「あぁ……私の年季が明けてからの人生はどうなるのやら……」 なんてボヤく妓女も増えてくる季節でもある。(そんなものなんだな……) 横で聞いていた梅乃は、分からない感覚であった。そして梅乃は小夜と話していると「私、わかるな~ 私だって、いつかは結婚したいもん」 小夜の願望に、梅乃は(小夜、思ったより大人なのかも……) 少し出遅れたような気持ちになっていた。ここ最近、梅乃の顔立ちがハッキリして大人びてきた。 大きい瞳は変わらないが、子供の顔立ちから抜け出してきていた。しかし、変わらないのが小夜である。クリッとした目、小さい口元など幼さが抜けていなかった。(なのに、負けた気がする……) 梅乃は、少し悔しがっていた。午後、梅乃は勝来の部屋に来ていた。そして、雑談の中から「姐さんは、誰かに身請けされたいですか?」 梅乃は、唐突に勝来に聞いていた。「そうねぇ……でも妓女になったばかりだから、そんな事は考えられないわ」「そうですよね。 菖蒲姐さんはどうですか?」「私も同じ……まだ十五だし、借金の返済が始まったばかりだもん」梅乃と小夜は、禿の仕事をしていても借金の返済にはならない。妓女として働いてからカウントされる為、禿や新造までは借金が膨らむようになっている。(途方もなく、先の話しだ……) 梅乃は、目が点になっていた。「私なんて、菖蒲姐さんの後でいいわよ」 勝来がそう言って、クスクスと笑っていた。「勝来の方が位も高いし、見つかるのが早いわよ」 菖蒲も挑発に負けじと返していた。(なんだかんだで、楽しそうだな……)